Veni Vidi Vicious

このスペルを打つのは簡単だったのを忘れてた。

やたら打ちまくってた時期があったな。

略したかたちはあまり好きじゃなくて、あの文字の羅列を目でなぞるのが好きだったから。

あの文字列の佇まいが完璧だったから。

でも、それがどんどん容易に打てなくなって今やここに名をあげるのも考えられもしないと、
ふと思ったので、逆らうかたちでタイトルに打ち込んでみた。

だから、正直書くことは決まってない。

けどタイトルにしたから、自ずとあのバンドのことを思うという流れ。

触れたきっかけは陽気なもんで、内容も薄いのに語り飽きたから言う必要もないけど、この3年くらいの間で味わった感情の数々がまだわたしにとっては生々しく、ただごとじゃない出来事に思えてしまう。

3年っていったけど、よく振り返ってみたら27になってからの約1年はまったくVeni Vidi Viciousとの関わりがなかった。

それも不思議で、あんなに好きな音楽が、聴くのも観るのも悩ませるやっかいな存在になっていって、そして今。 

ワクワクの裏にいつも不安がある、楽しかった後にいつも哀しさがくる、ユニークの裏に恐さがあって、だからただ聴いていられなくなった。

だれもクイズなんて出してないけど、気づくと勝手に答えを探っていて、疲れた。

なんだかいつもそばで愉快に鳴っている音楽に出会ったはずが、ネガティブな気持ちばかり残った。

「めちゃくちゃかっこいいから好き」って言えなくなった。

コロナを掲げて肩を組んではしゃいでた自分の姿を思い出そうとすると、やっぱそれはムリだから勝手にイメージしてみる。

わたしもしっかり浮かれた人に見えていたんだろーか。 

たしかいっつもうるさかったと思う。一緒にいる友達は手元がゆるくていっつも最後ビアーをひっくり返してた。楽しんでたと思う。 


今も最後に観たMARZの白い画とか、初めて観たベースメントバーの青い画とか、レッドシューズの赤い画とか、大晦日真夜中に観たデイジーバーとか引っ張りだそうとするとドキドキする思い出たちはパンドラに納まりつつある。憎き「しまっちゃおおじさん」。


あと少し。「約1年」がほんとに経つまで。 


今動いてる何かは、まだ兄弟か幽霊みたいなもんで、その足を確かめたいのかどうなのか、また取り憑かれようと界隈をうろつくのか、親指をかくしてすり抜けるのか、選択肢は何個かあるけどきっとまたその選択に迫られる。


クイズなんて出してないのに、もう、また答えを勘ぐろうとするこの癖は、、、 きっとわたしだけじゃない。

こんな癖まで身につけて、70歳になった時、このとんでもない、けどたったの3年間はどうなってるんだろ。

5年後でも同じか。32歳か、やだな。


ぐじゅぐじゅ言ってないで、ようつべの一つも見たらいーのに。
新しいやつ。

見てから感想のひとつも言ったらいいのに。

それができない理由がない。

しいて言うなら、覚めるにも、はまるにも今は動かしたくないって思うから。
音楽は出会うたびに変わる。今日聴いたものも、三年前に聴いたものも自分しだい。



次はイェーイェーしない自分でいいから、
できれば人生でもう一回、Veni Vidi Viciousに出会いたいなー。



など思った12/13。