"R"card mean Resverse.

だれか、この映像と音をちゃんときれいにスムーズに改修してこれ。

これきっとやってはいけない三大行為に値するが、背景に使用した画像の主は、
わたしが運命的に出会ったJan Saudekというチェコの写真家。(http://www.saudek.com/
パリの街でちらほら見かけた、まるでブーグローの絵みたいなこのポスターに一目惚れ。

トロカデロあたりのカフェでずうずうしくお店のおばさんに「欲しい!」という
欲望a.k.a熱意を伝えて、幸福にも頂戴したのでした。

ありがとう。あの店どこだろ。
"S"カード使って仕事をスキップして、海外へいきたいなー。

すごく個人的な話だけど、南フランスの小さなポーラン村という寂しい場所で、
小さい頃からかわいがってくれた母の親友のおばさんが亡くなった。

黒い時代とか呼べる17歳くらい。進路とか、将来とか、日々過ごすことじゃなくて、これからの人生
っていうテーマにとても悩んでぷっつんした時期。

あの何もない寂しい村と、食べることと犬と猫が大好きなおばさんが助けてくれた。
おばさんが亡くなった後、知らぬ間にお酒で変わってしまった旦那さんも亡くなったらしい。 
実はその少し前には、毎日おばさんが犬の散歩も食事も共にしていた近所に暮らすイギリス人のスーちゃん
という友人も亡くなっていた。一番初めにしったスーちゃんの訃報はすごくびっくりしたし、
ショックだった。その後は、おばさんが検査にひっかかって入院したという知らせと、日本に帰りたいという
手紙と、海辺の病院に移ったが調子がいいからもうすぐ退院できるかもと綴られた手紙の後で、連絡がとれなくなった。詳細もないまま村に行こうか戸惑う母を残して、既におばさんは果てていた。

スーちゃんが「卒業式のパーティーで着たら素敵」と選んでくれた服や、おばさんの手紙や、沢山の
写真や思い出は全部わたしの手元にだけ残って帰るところがなくなってしまった。

もうきっとあそこには日本人を待ってる人は誰もいないんだろう。
でもずっとこのことがひっかかってる。あのお家も、完成した姿をみれなかったゲストハウスも
今どうなってるのだろう。

おばさんがイギリスからポーランに移り住んで、わたしが一番初めに訪れた時に夜中おばさんと俗にいう
ガールズトークをしながら描いた1枚の絵をとても素敵な額に入れて大切に飾ってくれていた。
あの絵はどこにいったんだろう。わたしのPNの由来になっている猫のシッキーちゃんはどうなったんだろう。

本当に悲しい。

なんで来年行くかもと言ったまま、「いつか」と後回しにしてしまったんだろう。
行けない理由は沢山あってもいつだってこの後悔に戻ってくる。

もうあの村には誰もいないから、未だに「いつか」と言い続ける自分がいるけど、自分も一緒に
歳をとることを忘れないようにしなきゃ。 

明日は何が大事だろ。昨日はなにが大切だった?

そんなふうに悩んでいきてくんだろうみんな。

ひとまず、モンペリエからあの村にいく方法が思い出せないから調べるところをやろう。
わからなかったらtwitterで叫んで、大使館にきけばいい。←なげやり

webで検索しても何も出てこない村だけど、だれか情報あったらわたしに教えてくださいね。